2012年01月21日
万里の征途につく我等
万里の征途につく我等
中田 安雄(大高二回卒) 作詞
志岐 豊(大高二十三回卒) 作曲
志岐 豊(大高二十三回卒) 作曲
万里の征途につく我等
見よ鋼鉄とうち鍛え
いざ安勝の陣頭に
勝利に酔って燃ゆる血の
紅燃ゆる空高く
勝ち鬨あげよ乱舞せよ
2012年01月21日
2012年01月21日
数え歌
数え歌
栄 尚志(大中六回卒)
石田 溌(大中九回卒)共作
石田 溌(大中九回卒)共作
一つとせ 人里離れた 松原の中に
大高は あるわいな
大きな新川 前にして
二つとせ 冬でも夏でも 松の色
変わらぬ緑につつまれて
学ぶ生徒は一千余
三つとせ 皆様ご承知の 大高生
年中一重の破れ服
暑さ寒さにゃかまやせぬ
四つとせ 夜の外出 禁じられ
昼でも出るときゃ 制服で
例の破れ服 着て出ます
五つとせ 一番むずかし数学は
一週間には七時間
落第するのもこれが為
六つとせ むずかしい 試験の問題に
頭なやますかいもなく
やがて終わりのかねが鳴る
七つとせ なんのかんのと 理屈いう
上級生の つらにくさ
そのくせ教師にゃしかられる
八つとせ やんちゃするのも二年まで
三年なればニキビずら
大人ぶるのもにくらしや
九つとせ ここに三年の年つもり
あとは卒業を待つばかり
にくらし教師もなつかしや
十つとせ とうとう卒業となりました
明日は去ります 名瀬町を
さらば皆様健やかに
2012年01月21日
>ああ常夏の国なれや/遠からん者は音に聞け
ああ常夏の国なれや (七高寮歌・北辰斜めに)
一、ああ常夏の国なれや
花絢燗の春あれど
木枯らし襲う秋知らず
葛衣に耐えぬ夏あれど
弧裘骨さす冬知らず
惰眠栄華の夢に酔う
二、名も太平の洋の西
深き眠りに入れるとき
きたす黒潮瀬をはやみ
沃饒の土しぶき飛び
万木落ちて椰子の葉に
図南の急をささやきぬ
遠からん者は音に聞け
一、遠から者は音に聞け
近くばよりて目にも見よ
これぞ我等が腕の意気
千万の敵何かある
(ツララ大高大高
ツララツララ
ツララ大高大高)
ツラリラ
二、秋繚乱の血の錦
千草の中に来て見れば
怒涛逆巻く太平洋
南島あらしいや強し
2012年01月21日
郡巒色は紫に
郡巒色は紫に
一、郡巒色は紫に
銀波さゆらぎ太平洋
青海原を堂々と
朝日子昇る曙や
希望の光輝ける
わが世の春に似たるかな
二、天の霊気を地に呼ぶと
胸の高鳴り覚えつつ
自重と自治の旗じるし
起つや忽ち意気の児が
嗚呼微笑みと誇らいの
雄々しき姿を見よや見よ
2012年01月21日
2012年01月21日
会長挨拶
会長 川上 勝
これまで、大島高校野球部には後援会組織がなく、幾度となく会を立ち上げるという試みはありましたが、中々うまくいかず、現在に至っておりました。
今回、若い世代のOBが中心となって「安陵球児会」を発足する運びとなりました。本会は、会員相互の親睦を諮り、大高野球部に対する協力や援助を目的としております。
さて、大島高校野球部の歴史を振り返ってみますと、大島中学時代の大正13年にまでさかのぼります。当時は、ハイカラ青年たちが硬式ボールを握り、空き地などを利用してキャッチボールをするなど社会人が主流だったようです。 しかし、用具の維持管理が難しくなり、大島中学校へ売却したことで、同校の野球部が誕生したと聞いております。野球部発足のメンバーの中には、プロ野球チーム、大洋球団の監督を務めた方や、オール台湾代表などの名プレーヤーなどが輩出されています。
今年で創部84年目を迎えますが、当時は硬式ボールで野球をしていたようです。いつ頃から軟式に変わったのか記憶が定かではありません。私たちの時代(昭和30年から同32年)は、中学生も高校生も社会人と一緒になって旧名瀬市の大会に参加して、野球を楽しみ頑張っておりました。それから同38年、県大会でコールド負けを喫し、それを糧にして翌39年、「久松兄弟」らを擁して県大会で、初優勝を飾りました。 この年は小倉で行なわれた九州大会でも見事準優勝を果たしたのです。また、翌年には2年連続優勝の快挙を成し遂げました。
硬式野球部が同47年に誕生し、甲子園の道が開けました。甲子園出場の夢を追い、県大会における後輩たちの戦いに、一喜一憂しております。春や秋の大会でのベスト4は、過去2回ありますが、夏は平成5年のベスト8が最高成績です。今後大島高校野球部の皆さんには、安陵魂を発揮し、更にこれを上回るように頑張ってもらいたいものです。
この発足を機に、当会の先人たちが築き上げてきた良き伝統を引き継ぎ、更なる飛躍ができるように、今後とも皆様のご支援をお願い申し上げ挨拶といたします。
2012年01月21日
大島高校野球部これまでの主な歩み
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